花譜(かふ)という名前を最初に知ったのは、深夜のYouTubeでした。
あの時間帯って、妙に感情が入りやすいことってありませんか。
私の場合まさにそれで、偶然流れてきた「過去を喰らう」を聴いた瞬間、思考が止まりました。
声の透明感が真っ直ぐ刺さる。
ただ綺麗、ではなく「なんでこんな風に刺さるんだろう」と理由が言語化できない独特の余韻。
その体験を今でも覚えています。
そこから私は花譜の曲をたくさん聴くようになり、気づけばアルバムも追い、ライブも追い、プロジェクト全体を楽しむようになっていました。
気づけば何年も、夜の作業中に彼女の曲を流すのが習慣になりました。
音を聴いて落ち着くというより、「精神の輪郭が整う」ような感覚に近いです。
そんな花譜というアーティスト。
今では音楽ファンやVアーティストシーンの中でも象徴的な存在になっています。
しかし一方で、彼女の中の人(前世)は誰なのか、年齢は?顔バレは?出身は?
そうした疑問は今でも多く検索され、考察され、語られ続けています。
今回はファンの一人として、そして音楽をずっと追ってきた視点として、
●中の人は誰なのか?(噂レベルの範囲)
●年齢は何歳くらいなのか?
●顔バレや出身はどうなのか?
このあたりを“断定ではなく事実と推測を分けて”整理していきます。
そして、なぜ花譜はここまで心に刺さるのか。
そこも、私自身の経験を交えながら書いていきます。
花譜は“作品世界で成り立つアーティスト”
まず花譜がどういう存在なのかを整理しておきます。
花譜はKAMITSUBAKI STUDIO所属のバーチャルシンガーで、2018年に活動開始しました。
ただ「歌う人」ではなく、世界観や物語を軸に作品を作り続けてきた、プロジェクト型のアーティストです。
特に「不可解」シリーズ、そしてライブ演出は強い。
私はオンラインで「不可解弐Q1」を視聴しましたが、あれはライブというより“体験型の作品”に近かったです。
バーチャルなのに、あの存在感が物理空間と同じレベルで心に届く。
当時、私は「この人はただのVTuberジャンルの中の歌い手ではない」と強く感じました。
バーチャルとリアルの線引きを曖昧にして、音楽そのものの価値を押し上げているとさえ思ったほどです。
そして、花譜は歌が中心ではありますが、プロジェクト規模の広さも特徴です。
映像、物語、アート、SNS企画、V.W.P(Virtual Witch Phenomenon)など多岐にわたり、
“大きな世界観で作品を更新し続けるアーティスト”という立場が定着しています。
この「世界観が先にあって、その中にアーティストが存在する形」
これが後で触れる“中の人の非公開文化”にも繋がります。
花譜の中の人(前世)について
ここが一番多く検索される部分だと思います。
ですがまず結論から言うと、
公式では一切公開されていない
これが真実です。
ネット上では
「14歳でデビューした一般の女の子」
「歌ってみた系で昔活動していた人がベースでは?」
など噂はいくつもあります。
確かに当時、14歳で活動開始したという公式発信はありました。
ここだけは事実として扱って良いと思います。
ただ、候補としてたまに名前が挙げられる人物については「推測」の域を出ません。
そしてKAMITSUBAKI STUDIO側は一貫して「花譜という存在そのものを楽しんでほしい」という姿勢を持ち続けています。
私自身、昔は気になって色々調べた時期もありました。
しかし作品を追えば追うほど、中の人の特定は本質を損なう方向にしか働かないことに気づきました。
中の人の“名前”で理解するより、
作品の積み重ね=花譜、の方が筋が通る。
今ははっきりそう思っています。
顔バレについて
花譜の顔バレも同じく公式では公開されていません。
インターネット上で出回る「これは本人」という画像は、ほぼ全て根拠のないものです。
KAMITSUBAKI STUDIOはプライバシー保護に非常に厳しいスタジオです。
それは他の所属アーティストを見ても共通して感じます。
また、花譜はライブでの登場のあり方そのものが“デザインされた存在”です。
光、音、映像、その中に姿がある。
つまり“顔を出すことで成立するアーティスト像”ではない。
だからこそ、顔バレに価値を求める必要自体が、そもそも無いと私は思っています。
見えないからこそ成立する表現がある。
花譜はその象徴のような存在です。
年齢について
デビュー当時が14歳という情報があったため、
2025年時点の推測では20歳前後と考えられます。
※誕生日は非公開
ただ、年齢に関しても細かな公式数値は出ていません。
年齢もリアルな個人設定ではなく「花譜の時間軸」の中で感じるべきもの。
そういう価値観が感じられます。
実際、初期曲と最近の曲を比較すると「声の成熟」を感じます。
私自身久しぶりに初期曲を聴き返した時、
“少女っぽい柔らかさ”から“深く包むような声”へと進化しているのを感じました。
この変化を作品の連続として追って楽しめるのもファンの醍醐味です。
出身について
出身地は確定情報なし。
ただ、過去のインタビューで「地方から東京に通いながら活動していた」と語っていた時期があります。
そのため、ネット上では長野や中部地方では?と推測されることが多いという状況です。
ただこれも噂レベル。
裏取りのあるものは存在しません。
私自身も地方出身なので、
「地方から大きなフィールドに出る不安と希望の混在」
そこに少し共感してしまう部分があります。
だからこそ花譜の楽曲には地方的情緒というか、静かな孤独感があるように時々感じることがあるのかもしれません。
バーチャルシンガー文化と「非公開性」
ここ数年、バーチャルシンガー文化はかなり広がりました。
個人勢も増え、制作クオリティも全体的に高くなり、競争も起きています。
ただその中で花譜は「非公開性」を一つの軸に置き続けていると私は感じます。
現実の個人情報ではなく、作品から立ち上がる“虚構の存在性”を守ること。
それが花譜の魅力そのものになっている。
本来リアルに紐づきやすいアーティスト像と、
現実をぼかすことで解像されるアーティスト像。
この両方が同時に存在できるのが、バーチャルシンガー文化のおもしろさです。
私が花譜の音楽を聴き続ける理由
私はよく、文章を書く時や夜の作業時に花譜を流します。
理由は「情緒を整える音だから」。
一般的な歌手は「テンションを上げる」「悲しい気持ちに寄り添う」。
よくあるパターンだと思います。
花譜は違う。
“沈んだ気持ちを無理に切り替えないけど、少しだけ温度を調整してくれる”感覚。
落ち込んだ日も、焦る日も、不安な日も、音を聴くと「極端に振れない何か」に戻れるんです。
これは花譜の声のニュアンスと、作品世界の設計によるものだと私は思っています。
だから私は、自分の中の基準として「この人の本質は作品にある」と確信しています。
まとめ
花譜の中の人、顔バレ、年齢、出身。
これらは検索され続け、考察され続けています。
しかし結論としてはどれも確定の公開情報ではありません。
推測の域に留まっています。
花譜は「バーチャル=現実を隠す」ではなく
“バーチャルの美しさを最大化するために、現実を必要以上に持ち込まない”存在だと私は感じます。
だからこそ私は、中の人が誰かよりも、作品と声の積み重ねそのものに価値を感じます。
これから先、花譜がどんなプロジェクトを走らせ、どんな楽曲を作り、どんな世界を描いていくのか。
そのプロセスを追い続けて観測できることがファンとしての最高の特権です。
そして、おそらくこれからも花譜は「存在そのもの」であり続ける。
その曖昧と透明の隙間の中で、音はこれからも静かに刺さり続けると思います。
今日も私は、夜の作業のBGMとして、静かに花譜を再生します。
言葉では整理できない何かを、そっと調整してくれる声を聴きながら。